前回は、日本における3つのスマートシティを紹介しました。今回は、日本のスマートシティの特に強みとなる側面を紹介します。これまで紹介したスマートシティの原点は、新しい考え方や技術を取り入れた都市づくりビジネスです。日本は、この分野のスマートシティにおいて、世界有数の実績と経験を誇ります。もちろん、シンガポールや上海のように、都市部を大規模にスマートシティ化した国はあります。しかし、日本は地方都市まで含め、広域に、また短時間にそれを実現しました。
第4回「実は強い日本のスマートシティビジネス」を解説していきます。
1. 戦争直後から日本はスマートシティ作り
国際的スマートシティとは、以下の3つに分類されます。
1:ビジネス「健全なビジネスであること」
2:新技術「新しい技術が使われていること」
3:まちづくり「まちを基盤に置いていること」
日本国内のスマートシティと国際的スマートシティの大きな違いは、「1:ビジネス」の有無と考えられます。日本国内の多くのスマートシティプロジェクトは「2:新技術」を企業が目指し、「3:まちづくり」を自治体が推進します。その点は国際的スマートシティのモデルと同じです。しかし「1:ビジネス」を真剣に考えません。企画当初から企業も自治体も国からの補助金を前提とし、国もこれをよかれと考え、多種類の補助金を拠出します。
スマートシティが健全なビジネスであるためには、目的や事業計画がしっかりしていなければなりません。しかし、これを補助金に委ねると、政府受けしそうな提案文を作って利益を得たり、自社の製品やサービスを盛り込むことだけを考えたりし、自治体間と首長間の名誉競争に終始するということに陥ってしまいます。つまり、ビジネスを重視していない日本のスマートシティにおいては、国に支持される計画が前提で、自社製品やサービスを売ることが企業の目的となり、また自治体やその首長はプロジェクトに選ばれることにしのぎを削るようになってしまう可能性もあるでしょう。
ここで、冷静に考えてみましょう。日本では本当に、こんなことが行われているのでしょうか?
日本と海外のスマートシティには大きな乖離(かいり)があります。日本の企業や自治体は、国の補助事業に群がっています。しかし、日本はそもそも、そういった動きをする国ではありません。今の日本におけるスマートシティは、非常に特殊です。一方で、日本には世界でも有数なスマートシティの経験と事例が存在します。
日本のスマートシティ第1期といえる時期は、太平洋戦争が終わった1945年から1964年東京オリンピックまでの期間です。そして第2期は1970年後半までの高度成長期です。この2つの期間に、日本では大規模なインフラ系スマートシティが作られています。もちろん、それらはスマートシティとは呼ばれていませんでした。
第3期とされる現在も、国際的標準のスマートシティは数多く作られ続けています。ただし、それらは前述の国内版スマートシティとは一線を画して進められています。
スマートシティは一つの産業群です。その副産業には、交通、道路、通信などのインフラ事業が含まれます(図1)。
日本の戦後復興を担ったスマートシティ第1期では、インフラ系スマートシティ開発が日本中で起こりました。通信、高速道路、東京の職住分離設計、駅前再開発の4つ事例を紹介します。
・通信
現在、携帯電話や5Gなど、通信技術は目覚ましく進歩しています。同様に、戦後の復興期における大きなビジネスは電話でした。当時、遠隔通信手段はほとんどなく、日本のスマートシティ第1期において、副産業の通信事業で大規模に進められたのが電話の普及です。電話の加入権利ビジネスは健全なビジネスとして、日本電信電話公社により推進されました。それまでになかった通信技術を整えるために、大量の金属線を猛烈なスピードで、日本中の地中に埋めるという土木技術に取り組みました。その電話工事を行う技術者や、自動交換機導入まで活躍した電話交換手の人材教育が行われ、電話産業は発展していきました。戦後の電話は、まさに通信のスマートシティ副産業として誇るべき事例といえます。
現在も、新興国や発展途上国は、この日本の技術移転を受け、自国での開発を進めています。携帯電話は、そのほとんどが地中埋設の有線を使って通信が行われ、日本のこの技術は現在も世界に大きく寄与しています。
・高速道路
戦後の日本全体のスマートシティ化に欠かせない副産業が、高速道路です。ほとんどが有料である高速道路は、ビジネスが前提です。最新の土木建設、通信、防災の技術を有し、都市を結ぶ高速道路には、「1:ビジネス」、「2:新技術」、「3:まちづくり」の要素が存在します。
戦後の混乱が続いている中の1959年5月26日、西ドイツ(当時)のミュンヘンで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会において、5年後の1964年、第18回オリンピック開催地は東京に決定されました。戦争が終わって14年後のことです。その1か月後の1959年6月17日、首都高速道路公団が誕生しました。そして、その5年後、首都高速道路が完成しました。たった5年間で、既存の土地の買い上げや立ち退き交渉を含め、首都に高速道路を作ることなど、今では考えられません。2011年に見舞われた東日本大震災の高速道路の復旧では、どれだけの時間がかかったことでしょう。
現在、日本各地で十数年もの長期にわたり建設中の高速道路が多いことからも、このスマートシティ大事業の実行力の高さが理解できます。この事業の核となる技術は、不動産、土木、建築、通信など多岐にわたります。これらは現在、東南アジアをはじめとする多くの国々で行われている日本製スマートシティ開発のビジネスの中心になっています。
・東京の職住分離設計
東京の職住分離とは、東京の中心に大規模な職場エリアを作り、1時間半以上をかけ、居住地域から通勤するというモデルです。東京都のまちづくり基本計画は、戦前からあった考えと、大きく変わっていません。1946年3月に立案された東京戦災復興都市計画では、都市部中央から40~50km圏に横須賀、平塚、厚木、町田、八王子、立川、川越、大宮、春日部、千葉など、人口約10万人の衛星都市、さらに外郭都市として人口約20万人の水戸、宇都宮、前橋、高崎、甲府、沼津、小田原などを想定し、これらで400万人の人口を収容し、東京区部の人口を350万に抑えようというものでした。
この計画モデルは日本発信で多くの国で参考にされ、日本とよく似た都市計画が数多く進められてきました。人の移動を前提とした移動型スマートシティです。大規模事業として、鉄道、道路、通信、商業など、数え切れない新技術が取り入れられています。現在、世界中で進められているコンパクトシティや、地域分散エネルギー、テレワークの動きとは異なる考え方です。
ここでいう職場を丸の内地区とすると、通勤時間1時間半を目途に多くの居住地域が作られたことになります。多摩ニュータウンや、湖まで作ってしまった越谷レイクタウンなど、URやゼネコン各社が進めてきたスマートシティインフラ副産業のノウハウと実績もまた、日本のスマートシティの誇りと考えられます。
・駅前再開発
日本のスマートシティの中で、最も多い事例は、駅前再開発です。数百もの小さな地方都市でJRの駅が駅ビル化され、ハイテクエスカレーターや歩行者デッキが設置されました。駅裏の入り組んだ飲み屋街も協力して、スマートな集合レストランビルに入って営業を続けています。駅前には地下駐車場ができ、送迎に来た車は、駐車場に利用料金を払うようになりました。
駅前にあった商店街は、ショッピングセンターとなりました。ただし、商店街の店舗は仕事を失うことなく、移転して、さらなる利益を狙いにいきました。駅から離れた旧市街地などにあった商店街は、これに合わせてアーケードを美しく作り直しました。駅からは離れているものの、駅前からの導線をつなぐ工夫を行いました。例えば、札幌駅と狸小路アーケードの間の巨大な地下街のように、大都市、小規模都市の多くに、JRと旧市街との連携モデルが存在します。駅前再開発こそ、ビジネス、技術、地域の3要素が基盤となった日本が誇るスマートシティで大きなモデルであるといえるでしょう(図2)。
日本のスマートシティ作りの代表である駅前再開発には、大規模案件も数多く存在します。渋谷の再開発や六本木ヒルズ、あべのハルカスなども、全く同様の基本思想から成り立っています。図3は、1951 ~1953年運行していた渋谷のロープウェイひばり号です。戦後すぐからスマートシティの性格を有していたことが分かります。
筆者は子供の頃、地下鉄が突然空中に現れ、ビルの中に消えていく未来都市を見て興奮したのを覚えています。地下鉄銀座線が突然空中に現れる横にはプラネタリウムの巨大な銀色の円盤があり、あたかもジュール・ベルヌの本の世界に入ったように感じたものです(図4)。
渋谷の駅前開発によって、新幹線やリゾート特急などハイテク交通と連携し、現在は、複数の鉄道の相互乗り入れが可能になっています。また、2026年の整備完了を目途に掲げている渋谷川の地下移動プロジェクトなど、まちの機能向上を目指した差別化技術の観点において、どれも大きな効果をもたらしています。
その他の駅においても、大規模洪水対策地下プール、防犯カメラの設置や安全な通学路設計など、その時代の最先端の技術が日本のスマートシティには常に使われています。このようにして、日本の多面的なスマートシティ技術と真面目な国民性により、何百というまちが、より良いまちへと変わっていきました。
2. 日本の強み、団体戦
戦後の復興期から渋谷や六本木、地方都市の駅前再開発まで、日本のスマートシティがここまで急速に発展し、成功を収めた大きな理由は、日本の団体戦に対する強みにもあります。日本の団体力は、現在でも大変強い力を持っています(ややビジネス戦略の話になるため、深堀りは避けます)。
筆者が所属していたIT産業では、アメリカやヨーロッパの企業から「日本に新規市場として参入したいので、ぜひ手伝ってほしい」という申し入れが毎年のようにやってきました。その都度、企業を紹介し、事業計画を一緒に作るなど、考えられる多数のこと行いました。その中で、アメリカやヨーロッパの企業がなかなか理解できずに苦労していたのが、日本の団体戦との戦いでした。日本の団体戦方式が理解できず、攻略できないという悩みです。
日本の平均的な田畑は5 ~ 6人の農家ごとに管理され、小作として土地の持ち主が別に存在し、JAが融資して実際の経営を外部に委ねています。田植えの時期になると隣近所が集まって作業をし、農機具の融通も頻繁に行われます。いわば、総動員で進める産業です。水田を維持するには、特に労力がかかります。アメリカやヨーロッパでは米よりも小麦などの穀物栽培が多く、手のかかる水田を維持したり、協力して田植え作業をしたりすることはありません。肉食の多い食生活では、数十人が狩りに山に入ることはなく、少人数が役割を持って獲物を捕らえに行きます。つまり、団体行動はあまり必要ありません。
日本はピラミッド型社会であるとよくいわれます。しかし、実際には文鎮型で意思決定が行われます。図5に示すように、ヨーロッパでスマートシティをビジネスとしている企業は、日本モデルを目指して組織変革を起こしています。
3. 巨大シティから地方都市まで健全なビジネスの考え方
全12回で下記の内容を解説しています。
- 第1回 スマートシティの本来の意味
- 第2回 国際的なスマートシティとは
- 第3回 日本のスマートシティ
- 第4回 実は強い日本のスマートシティビジネス
- 第5回 日本製スマートシティチームの勝ち組み例
- 第6回 国際的スマートシティプロジェクトにおける日本モデル、コングロマリット
- 第7回 スマートシティ戦争、コングロマリット各国モデルで激戦
- 第8回 実ビジネスの事業者とアプローチを考える
- 第9回 スマートシティで日本が強い売り物とは(前編)不動産
- 第10回 スマートシティで日本が強い売り物とは(後編)ハイテクインフラ産業
- 第11回 日本が強いエリア、弱いエリアを冷静に見極める
- 第12回 日本と世界のスマートシティ、迫り来るこの産業の焦点