前回は統計データの解析から、工場において発生頻度の高い事故と対策を確認しました。今回は、身体の一部に物理的な負荷が反復してかかることで起こる腱鞘炎、椎間板ヘルニア、胸郭出口症候群などの疾病を、エルゴノミクスの観点から解説します。
第2回「反復的負荷障害とエルゴノミクス」を解説していきます。
第2回もくじ
1. エルゴノミクスとは
エルゴノミクス(Ergonomics、人間工学)とは、あらゆるハードウェアやソフトウェアを、人間が快適に、より少ない疲労で使えるように、工学的アプローチから設計・デザイン・研究する学問です。イギリス生まれのエルゴノミクスは、出発点や内容が厳密には違うものの、アメリカで生まれたヒューマンファクター(Human Factors)、万人が使いやすいデザインを目指すユニバーサルデザイン(Universal Design)と相通じる考え方です。
1:労働環境におけるエルゴノミクス
労働現場における安全対策分野で、エルゴノミクスは、人間が無理のない自然な動きで効率的に作業できる環境を整えることに活用されています(図1)。これは、事故やミスを減らすことにつながります。人間が仕事に合わせるのではなく、人間(身体)に仕事を合わせるという発想です。現在はエルゴノミクスを活用したマンマシン・インターフェースを持つ設備や機械が設計され、身体にかかる負担軽減と同時に、安全性や作業効率を高められています。特に身体に負荷がかかり続ける作業、身体に無理な動きを強いる作業が改善され、反復的負荷障害の防止につながることが期待されています。マンマシン・インターフェースとは、人間と機械とのやりとりを媒介するキーボード、タッチパネルなどの入力装置のことです。広義では、そのプログラムや仕組みを指すこともあります。ヒューマン・インターフェースと呼ばれることもあります。
2000年前後の米国では、事業者に対し、反復的負荷障害についての情報を労働者に提供し、問題発生リスクの改善を義務付けるエルゴノミクス規制案をめぐって議論が起こりました。結果的に規制案は否決されましたが、反復的負荷障害を予防する観点からエルゴノミクスの考え方が産業界に広く浸透し、多くの企業が自主的な改善に取り組む契機となりました。業務に起因した疾病・傷病のうち、突発的な要因ではなく、負荷のかかる作業の反復によって発生した疾病を「エルゴノミクス的な疾病」、「エルゴノミクス関連の疾病」などと呼ぶケースもあります。2010年に米国で取られた統計によると、建設現場での休業災害の25%は、エルゴノミクスに関連する傷害だったそうです。
2:設備設計での注意点
人の身体の物理的な強さは、人それぞれです。背の高い人と低い人、体重の重い人と軽い人、筋力の強い人と弱い人、素早く動ける人と動けない人など、さまざまな人がいます。誰にとっても身体に無理のかからない設備を設計しようと、多くのメーカーが努力しています。年齢、性別、人種が異なれば、人の平均的なサイズも異なります。従って、その設備を使用する人の身体的な特徴と振れ幅を知ることが、エルゴノミクスを活用した設備設計の前提条件となります。
2. 反復的負荷障害の主な疾病
長時間、繰り返し体の一部に負荷がかかる作業が原因で引き起こされる反復的負荷障害は、多岐にわたります。今回は、症例の多い代表的な疾病を紹介し、対策法を紹介します。
多くの方が苦しんでいる症状が、腰痛でしょう。椎間板ヘルニアは、その中でも代表的な症例です。仕事で傷めることが多い手にも、腱鞘(けんしょう)炎、手根管(しゅこんかん)症候群、胸郭(きょうかく)出口症候群など、さまざまな疾病があります。また、大きな音による難聴も、エルゴノミクスで対策可能な疾病です。
1:胸郭出口症候群
胸郭出口症候群とは、長時間腕を上げるなど無理な姿勢を続けることで、腕や胸などにしびれや激しい痛みが起こる疾病です。胴体(首)から腕へとつながる神経や血管は、骨や筋肉の隙間を通っています。このうち、前斜角筋と中斜角筋の間、鎖骨と第1肋骨の間の肋鎖間隙、小胸筋の肩甲骨烏口突起停止部の後方の3カ所に、長時間の締め付けや圧迫が起こると、発症する可能性があります(図2)。しびれや痛みの他に、肩こり、血行不良、さらに悪化すると耳鳴り、ふらつき感などを起こす人もいるようです。女性に多いとされていますが、胸の筋肉を鍛えている男性の発症もしばしば見られます。最近では、アミューズメントパークで働いていた女性に労災が認められたニュースで話題になりました。
長時間腕を上げる作業として、天井の張り替えや照明器具の取り付けなどがあります。適切な休憩を取り、腕を上げずに作業できる器具の使用を検討しましょう。特になで肩の女性は胸郭出口症候群になりやすいので、管理者は作業方法や時間などに十分な配慮をすべきです。
2:手根管症候群
手根管症候群(図3)は、手の酷使によって発症します。手根管は手首に近い部分にあり、腕から指先に通じる神経や腱が通っている管です。ここで正中神経が圧迫されると、しびれや激しい痛みの症状が現れます。症状の特徴としては、夜中から明け方にかけて痛みが出ること、人差し指・中指と親指にしびれが出やすいこと、悪化すると親指と人差し指で輪を作るOKサインができなくなることなどが挙げられます。また、手の酷使がなくとも、妊娠・出産期や更年期の女性に発症することもある疾病です。
労働の現場では、作業に適さない小さな工具を長時間使用して、手に負担をかけると起こります。工具は、作業への適否はもちろんのこと、作業者の手の大きさに合わせて選びましょう。また作業が長時間になる場合は、電動工具を使用するなど、手にかかる負担を軽減させることも大切です。
3:腱鞘炎
腱は筋肉と骨を結び付けている硬い組織で、腱鞘というさや(鞘)に包まれています。筋肉が動くたびに、腱が腱鞘の中を、腱鞘に沿って動きます。腱鞘炎とは、筋肉の酷使により、さやの部分である腱鞘が炎症を起こした状態です。発症する部位はさまざまです。とりわけ手の発症例が多いのは、私たちが身体の中で特に手を酷使しているからでしょう。長時間、同じ動きを繰り返す仕事をする場合は、小まめに休憩時間を確保しましょう。ストレッチやツボ押しなど、予防策を紹介しているウェブサイトもありますので、検索してみてください。
4:椎間板ヘルニア
重いものを持ち上げる時は、できるだけ身体に引き寄せて、腰ではなく足の力で持ち上げなさいと言われたことはありませんか? これは、椎間板ヘルニア(図4)にならないための注意事項です。椎間板とは、背骨と背骨の間に存在するクッション状の軟骨で、中に髄核というゼリー状のものが入っています。重いものを持ち上げる時に、身体から離した持ち方をすると、てこの原理で椎間板にきわめて大きな圧力がかかり、椎間板がつぶれて髄核が飛び出してしまいます。この飛び出した髄核が神経を圧迫することで、激しい痛みが起こります。
椎間板ヘルニアは、20~40代の比較的若くて元気な世代が、重いものを持ち上げようとして発症することが多い疾病です。これは、年齢が高くなると椎間板が弾力性を失い、つぶれても髄核が出づらくなるためです。また、長時間座り続ける仕事の人にも多い症状です。意識的に立ち上がる回数を増やすと、予防になります。
5:聴覚障害
生産設備の中には、大きな音を出す工作機類があります。また、工事でも大きな音が出る工程は少なくありません。騒音に長期間さらされると、気付かないうちに、徐々に聴力が弱まることがあります。蝸牛(かぎゅう)の有毛細胞は新陳代謝を行わず、新しい細胞が生まれないため、1度聴力が失われると、回復は困難です。
労働安全衛生規則でも、強烈な騒音を発する場所における業務に対して、耳栓などの保護具を用意することを事業者に求めています。米国労働省の連邦機関OSHA(Occupational Safety and Health Administration、労働安全衛生管理局)でも、85デシベル以上の環境に8時間以上さらされる場合は、設備対策または保護具の使用を求めています。なお、80デシベルの音量とは、窓を開けて走行している地下鉄車内の騒音、正面1mにあるピアノの音量程度です。短時間であれば、それほど大きい騒音だとは感じないかもしれませんが、長時間さらされると、聴力に障害を与える危険性があります。まずは、作業中に大きな音を出さない方法を検討しましょう。それが難しい場合、耳栓などの保護具を使用することが望ましいです。
3. 反復的負荷障害を防ぐには
全5回で下記の内容を解説しています。
- 第1回 工場の事故の原因
- 第2回 反復的負荷障害とエルゴノミクス
- 第3回 手と指先の安全対策
- 第4回 工場における工事の安全対策
- 第5回 ロックアウト・タグアウトとは