仕事の締め切りが守れない、浪費して貯蓄できない、健康管理ができない、ルール違反や不正行為の誘惑に負けてしまう。私たちは、ビジネスでも日常生活でも、こうしたさまざまな意思決定や判断の誤りを犯してしまいます。2018年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカ・シカゴ大学のリチャード・セイラーは、これらを総称して、誤行動(Misbehaving)と呼びます。行動経済学の目的は、誤行動が起きてしまう心理学的なメカニズムを明らかにした上で、その対応策を設計し提案することにあります。本連載では、行動経済学の基本的な知見を紹介し、その利用方法について考えていきます。第1回目は、判断や意思決定の根本にある認知処理システムについてです。
第1回「速い思考と遅い思考」を解説していきます。
1. 2頭立ての認知処理システム
人間の認知資源には、大きな制約があります。その行動の合理性は限定されたものでしかありません。アメリカのハーバート・アレクサンダー・サイモン(1978年ノーベル経済学賞を受賞)は、これを限定合理性と呼び、合理性を前提とした従来の経済学を批判しました。認知処理システムの問題は、この限定合理性の原因に関わる重要な問題であり、行動経済学の出発点です。
私たちの認知システムは、良くも悪くも、コンピューターのように矛盾なく最適解を選んでくれるマシンではなく、全く違う機能を持った2つの処理システムから成り立っています。1つは、情動的な直感的処理を行うシステム(システム1)。もう1つは、熟慮して理性的な処理を行うシステム(システム2)です。
2つのシステムは、非常に対照的な性格を持っています(表1)。システム1の処理は、無意識のうちに自動的に行われ、その時々の文脈やストーリーに影響されるのに対して、システム2では、論理演算の規則に基づいた熟慮的な処理が意識して行われます。
行動経済学の創始者の一人、ダニエル・カーネマン(2002年ノーベル経済学賞を受賞)は、その名著「ファスト&スロー」のタイトルにあるように、疲労なしに高速で行われるシステム1の処理を「速い思考」、消耗を伴いながらゆっくりとしか行えないシステム2の処理を「遅い思考」と呼んでいます。早合点や拙速がシステム1に任せた文字通り速い判断であるのに対して、ゆっくり考えるのはシステム2による遅い判断です。
システム1は、直感に任せてさまざまな判断を軽快にこなしていきます。ただし、それだけにそこにはバイアス(意思決定の誤り)が伴います。システム2がゆっくり考えて、判断を正しく修正すればよいものの、いつも頑張れるほどシステム2はタフではありません。メンタルなコストがかかるからです。
進化論的には、システム1は、私たちが動物的であったずっと昔から、生存を有利にするために発達してきた部分であるのに対して、システム2は、環境の変化や社会の形成とともに、私たちが人間らしくなっていくプロセスで進化してきた新しい脳神経ネットワークに対応したものです。その新旧2つのシステム間の連係プレーの悪さが、私たちの判断バイアスや誤行動を引き起こしています。
2. 直感タイプか熟慮タイプか
判断や選択のパフォーマンスは、システム2 の熟慮処理がシステム1の直感処理をどれだけうまくモニターできるか、言い換えると、その人が熟慮タイプなのか直感タイプなのかによって大きく違ってきます。これは、簡単なクイズを使うことで、その人がどちらのタイプなのかをおおよそ見分けることができます。イエール・ビジネススクールのシェーン・フレデリックが考案した認知的熟慮テスト(CRT:CognitiveReflection Test)です。
熟慮度を測るテスト-認知的熟慮テスト(CRT)は、以下に挙げたので、ぜひトライしてみてください(正解は本文最後を参照)。どれも小学生が理解できるようなクイズです。しかし、正解するのは簡単ではありません。早とちりしてしまう直感タイプの人と、よく考えて正しい答えを導く熟慮タイプを見分けるために、「ひっかけ」が仕組んであるからです。(参考:Frederick, S. Cognitive reflection and decision making、Journal of Economic Perspectives 18、2005 をもとに、日本人用に改変して作成)
<クイズ>
1:バットとボールが合計で11,000 円するとします。バットはボールよりも10,000 円値段が高いです。では、ボールの値段はいくらでしょうか。
答( )円
2:ある部品を5 つ作るのに、5 台の機械を使って5 分かかります。では、その同じ部品を100 個作るのに、100 台の機械を使うと何分かかるでしょうか。
答( )分
3:ある公園の雑草は毎日倍になります。何の手入れもしなければ、その公園全体は48日で雑草に覆われてしまいます。では、公園の半分が雑草に覆われてしまうまでには、何日かかるでしょうか。
答( )日
例えば問1で、バットとボールの値段の合計が11,000円で差が10,000円といわれると、人はすぐにボールは1,000円と答えたくなります。これに引っかかるのが直感タイプ、引っかからずに考えられるのが熟慮タイプです。こうして3問中、正答数が多い人ほど、熟慮システムの監視がしっかりしており、少ないほどその監視が甘い直感タイプだと判定されます。
世界中でこのテストが行われてきた中で、多くの人が直感タイプの傾向を強くもつことが知られています。ハーバード大やMIT(マサチューセッツ工科大学)などの超一流大学でない限り、正答数の平均値(全ての数値を足して数値の個数で割った値)は1前後、中央値(数値を小さい方から並べたときに、中央に来る値)も1に過ぎないことがほとんどです(フレデリックの調査では、ハーバードで平均正答数1.43問、MITに至っては2.18問です!)。
実際、2万人以上のサンプルで行った日本の調査でも、21か国、サンプル4万人以上で行った海外の調査でも、そのことが示されています(図1)。仮に、全問不正解者を直感タイプ、全問正解者を熟慮タイプと呼ぶことにすると、実に、約40%の人が直感タイプであり、熟慮タイプは10%台にとどまっていることが分かります。
3. 直感タイプほどまずい選択
システム2の監視が甘く、システム1で即断してしまう直感タイプの人は、現在指向的で衝動性に駆られる傾向がある上、高いリターンが望める場合でも、それに見合ったリスクを取ることができません。将来のことを考えて衝動を抑えたり、冷静にリスクを見積もったりするには、システム2の熟慮処理が必要です。直感タイプの人は、熟慮処理が面倒なためできません。その結果、合理性という観点から見た選択や行動の質は低くなります。
自分のスキルや能力、仕事における計画の実行可能性を見積もる場合にも、同じ問題が起きます。直感タイプの人は、システム1による甘い自己評価をそのまま信じてしまうので、往々にして自信過剰に陥ります。根拠のない自信が、行動の質を再び悪化させることになります。
実際に、個人個人のさまざまな選択や行動の質を調べてみると、多くの場合、直感タイプ(CRTで全問不正解者)は熟慮タイプ(CRTで全問正解者)よりも劣っています。図2はその一例です。喫煙率(a1)、適正体重者(低体重でも肥満でもない人)の比率(a2)、債務整理経験者の比率(b1)、過去5年の株式投資リターン(b2)のどれをとっても、男女とも直感タイプの方が劣っているのが分かります。こうした傾向は、年齢、所得、学歴など他の要因の効果を除いても変わりません。
ただし、これは速断が常によくないという意味ではありません。環境の変化に機敏に対応することはもちろん重要であり、危機に際して速い判断が求められるのも事実です。ただし、そこで求められる速い判断は、それまでにシステム2が繰り返し行ってきた学習や、情報処理の結果として自動化された、いわば習得された速い処理です。
数学、芸術や囲碁・将棋、スポーツ、職人の技など、高度な情報処理が必要な分野で成功している人を見れば分かるように、卓越したパフォーマンスを示す人々は、システム2によるつらい処理を繰り返し行うことを通じて、高度な処理をルーティン化してシステム1で行えるようにしています。必要とされている速い判断は、そのような処理です。
4. 行動経済学の本論へ
今回は、私たちの判断の偏りや意思決定の非合理性、つまりその限定合理性が、認知処理システムの2重性に起因していることを説明しました。システム1に頼っている人、言い換えればシステム2をサボらせている人ほど、選択のパフォーマンスが低くなります。さらに同じ人であっても、選択肢の状況や、その人自身のコンディションによって、システム1の直感処理が野放しになってしまうことが分かっています。
行動経済学の関心は、主に以下の3つの問題にあります。
1:どのような場合に直感処理が優位になってしまうのか
2:陥りやすい判断や意思決定の誤り(バイアス)にはどのようなパターンがあるのか
3:そうした誤りを修正するにはどうすればよいのか
以降の連載では、前半で主に2を、後半では3を取り上げる予定です。1については、関連するところでその都度触れていきます。次回は2に関連して、直感を使った判断が陥りやすい誤りのパターンを紹介します。お楽しみに!
(クイズの正解 1:500円、 2:5分、 3:47日)
全10回で下記の内容を解説しています。
- 第1回 速い思考と遅い思考
- 第2回 ヒューリスティックのわな(前編)
- 第3回 ヒューリスティックのわな(後編)
- 第4回 自滅選択のメカニズム
- 第5回 自滅を避けるには?
- 第6回 リスク下で起こしがちな行動(前編)
- 第7回 リスク下で起こしがちな行動(後編)
- 第8回 人はモノで動くか?
- 第9回 行動を良い方向にナッジする(前編)
- 第10回 行動を良い方向にナッジする(後編)